30年前に開業した時に、すぐに旭広告社の圓井さんが電柱看板で広告をしないかとのお誘いがあった。
当時、矯正専門開業は富士市にはいたが、静岡県東部では1人という状態だった。新しい業種の開業を知ってもらうため、その誘いに積極的にのった。
当時は広範囲から来ていただくため、沼津市はもちろん、三島、裾野、長泉町、清水町ほか隣接地域に出した。
しかも当時の矯正はまだまだ学童のものだったので、圓井さんの提案で各小学校の校門前の電柱に付けることにした。
多かった時は60本くらいになったかと思う。10年くらいお付き合いがあったが、だんだん少なくして、ついに近所の道案内の2~3本になり、それもかなり前にやめた。
そして今日、突然旭広告の営業マンがやってきて近くの電柱に広告をやらないかとの提案があった。それは新診療所が建ち始めているので、それの案内のために近くの広告が空いた電柱に看板をつけないかとのセールスだった。
近頃、忘れっぽくなっているが、旭広告の名前と前に担当だった圓井さんが結びつき、その方はどうしているか尋ねた。私が30代で丸井さんは私よりだいぶ上の年齢だと思っていた。
だから、「退職されましたか」と聞いたらば。退職してすでに亡くなっているとの返事だった。
開業直後、電柱看板を相談してからもう30年も経ったのかと月日の流れの速さに驚く。
早速、紹介された近くの電柱を確認してきた。そこなら1本出そうかなと思っているところだ。