9月26日28日まで岩手県盛岡市で日本矯正歯科学会が開催されていたので、それに参加するために東北へでかけた。
今まで毎年、学術展示で発表していた時期もあったが、診療所の仮移転や新診療所の建築などで発表どころではなかった。昨年の名古屋では参加さえできなかった。
今年は発表を準備する時期は移転で忙しくできなかったが、移転が終えて半年経ち、診療所も落ち着いてきて、やっと参加できるようになってきた。
そして、盛岡は私の出身大学の岩手医大がある町で、昭和45年より6年間学生生活をおくったところだ。
もうひとつ東北方面に行くときにしたいことがあった。それは東日本大震災で被災した気仙沼の先輩をお訪ねすることだった。
まずは一ノ関駅で降りて、特急バスに乗ること1時間15分、気仙沼についた、そしてホテルに荷物を預けて、先輩の診療所まで歩くことにした。
歩いて行くと、震災後1カ月余りたった時に見たの光景はもうなかった。
家が流され、自動車はひっくり返り、がれきの山ではなかった。今はほとんどが片づけられて、空き地になっているという印象だった。その中で、新しい暮らしが始まっている家も少しあるようだった。
その晩は先輩と飲み、翌日、隣町の陸前高田に連れて行って様子をみせてもらった。
それは、とてもひどい状態で片付いてはいるが、一つの町がなくなってしまったという感じだった。
気仙沼を後に盛岡に向かった。 学会にも参加はしたが、会場にいる時間は少なかった。最初から懐かしい盛岡を徹底的に歩いてみたいと思っていたからだ。
時代は変わり建物など昔のものはほとんどない。しかし道筋はほぼ昔のままで、方向を間違うことはない。
20歳のころにタイムスリップして(気持ちだけ)かなりの距離を歩いた。
また、盛岡市からはすこしはずれるが大きな新キャンパスができたと聞いたので、そこにも行ってみて、そこでまた歩いた。素晴らしいキャンパスがあり発展している様子が分かった。
歩き疲れて、予定より1時間早い東北新幹線に乗り、帰った、その新幹線がとても速いこと。学生当時の特急は上野まで6時間半かかったが、今は2時間半で東京まで着く。
でも当時、特急ほとんど使わず寝台列車だったから、それほど時間が無駄だったわけでもないが・・・。
この次に盛岡にいつ行くなかわからないが、あまり行くことはないだろうな。